ラウンダバウト

英語を教えています。自分の授業改善のためだったり、好きなモノ、コトをつづっていきます

第5回 「なんで英語なんか勉強するの?」

遅ればせながら、anfieldroad先生の

『英語教育ブログ』みんなで書けば怖くない!企画第5回

に参加します!

 

タイトルにある通り、僕たち英語教師が生徒に「英語とかまじタルイんだけど~。

てか、なんで英語なんかやらなきゃいけないわけ?」というようなことを言われたらなんと答えるかというのが今回のお題です。実はこの質問は僕にとってはとてもタイムリーなものでした。私は昨年の二学期から、ある定時制の高校で非常勤講師をしています。そして昨年授業中に生徒に実際にきかれてしまったのです。

 

この手の質問に対して、ある先生はそういう質問が出てこないように授業をがんばらなあかんというようなことをおっしゃっていたと思います(私もそれは確かにそうだと思います)が、今回はこれまでの色々な体験を思い起こしてストレートに答えてみます。

 

私はこの手の質問に主に3つの返し方を用意していて、時と場合に合わせて組み合わせたり、その子の性格を考えて話したりします。まず前提として授業中に大多数が同じ疑問を感じているようなら全体で。授業の流れを止めるのはあまり気が進まないので、何人かの子だけなら「後でちょっとお話ししよう」的なスタンスで答えることにしています。

 

一つ目は実利的な面からのアプローチ。大学に入る上だったり、社会に出る時に少しはアドバンテージになるかもねという話です。実例として私の父親や友人が務める企業では昇格の条件の1つにTOEICの点数があるよーというような話をします。「英語ちゃんとやっとけばよかったなー」とかよくきくよーと。まあ、後者を言ってもその感覚は高校生には共感してもらえないかもしれませんね。「保護者にきく!高校時代きちんと勉強しとけばよかった教科ランキング」とかなら少しは効果あるでしょうか(笑)?また、日本語だけだと触れられない情報があるということにも触れようとも思います。あとは私がどれだけ魅力的に語れるかですね。

 

二つ目は歴史的な経緯や、実は英語でなくてもいいんだけどねとトリビア(古い?)でけむに巻く流すという方法。これは生徒から「オレ知ってるー!日本が戦争に負けたからでしょー?」とかテレビで見たのか意見をいってくれる子がでてくるので、「よく知ってるねー」とか言って少しそれに乗っかります。単に「やることになってるから」と伝えることもあるでしょうか。学校ということを意識して、みんなも将来働き出すと思うけど、あまり気のりしない仕事でも、与えられた以上はやらなきゃいけない。僕らもそうだし、ゴホゴホ(汗) だから嫌いな教科、苦手な教科をやらなきゃいけないのはその練習かもねー、やらなきゃいけないことを文句もたれずきちんとできる大人ってかっこいいよねーとかいって授業に戻ります。

 

三つ目は僕が英語を勉強しようと思った理由を語ることです。これから書く内容は、僕の英語学習の根幹ないし、英語を教えて同じような体験をしてもらえたら素敵かなと思った(英語教師になろうと思った)理由の一つでもあります。それを語るには小学校時代にさかのぼるのですが(笑)

小学校の時の僕は暗くはないですが、明るいとも言わない、おとなしいタイプの「いかにも優等生」なタイプでした。友人からもそういう認識だったと思います。僕自身はそれを窮屈に感じていて、どこか「変身」願望がありました。で、それは中学一年生へと続きます。ちょうど進研〇ミで「オレ勉強も部活も恋も明るくがんばっちゃうぜ、リア充になるぜ」マンガの影響もあってよけいネックに(笑) この話を話し出すと長くなるので結論を書きますと(詳細に語ると当時好きだった子とか絡んできます笑)、英語の勉強、特にスピーキングの練習を始めて、小学校時代からの友人に「お前明るくなったね、なんか話すようになったよね」というようなことを言われたんです。性格に関しては、どれだけ自分で変わったと思っていても、外からそういう風に言われないとハリボテみたいな自信にしかならないし、本当に嬉しかったんです。その喜びを例えて言うなら、視力が落ちてきて意地でもメガネはかけないと誓っていたのに、いざかけてみたら世界が鮮やかによみがえった感覚に近いでしょうか(笑) 英語で自分の意見を言ったり(書いたり)、それを聞いてもらったりすることを繰り返すことで、「英語を話す時は別の自分になってもいい」感覚と言うか、自分の意見を言ってもいいんだ、英語なら(ちょっとずれてるところが僕らしいです)、という新しい自分に出会えた感を体験したんです。今でいうところの「セルフ・エスティーム」、自己効力感とかになるのか?と考えていたところ、白井先生の『英語はもっと科学的に学習しよう』の中で「理想的な第二言語での自分(ideal L2-self)」というのが第二言語習得の動機づけ研究分野で注目されていると紹介されていました。こちらの方が近そうですね。もちろん厳密には英語学習のみがcausationとは言えないでしょう。しかし当時の僕にはそうとしか思えないような環境でしたし、そうだと信じています。

そういう体験をしたので、もっと短くこの話をしたうえで、英語だったら違う自分になってもいいんだよ、世界が違って見えてくるかもよという話をします。

 

思っていた以上に長くなってしまいましたが、以上が暫定の返し方3種です。大学院で勉強していた時に靜哲人先生に教わる機会があり、3番目の理由なんか特に「英語は道徳じゃないんだ」とか叱責されそうですが、僕の基本的なスタンスとしては「生徒の英語力をあげる、楽しさはできるようになって初めてわいてくる」が第一なので大丈夫かな・・?

実はまだほかの方の記事をほとんど読んでいないので(汗)、また時間ができたら読んでみようと思います。読んでいただき、ありがとうございました。

 

こちらに皆さんの記事がまとめられているそうです

http://d.hatena.ne.jp/anfieldroad/20131101/p1